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1.はじめに
紙パンフレット用文章 2.北近畿タンゴ鉄道 3.信楽高原鐵道 4.関西本線 CDパンフレット用文章 5.新しい京都観光のありかた 6.新幹線南びわ湖駅は本当に不必要だったのか 7.東急田園都市線の混雑を考える 8.観光にはしった鉄道 9.Trip to Tohoku 〜鉄道研究会の東北旅行記〜 10.車両紹介 11.会員名簿 12.おわりに |
信楽高原鐵道
信楽高原鐵道は1987年にJR西日本信楽線を継承した第三セクター鉄道です。JR草津線・近江鉄道本線と接続する貴生川駅から、信楽焼の中心地である信楽駅までを全長14.7qで結ぶ非電化の単線です。開業初年度から黒字を計上し、「三セクの優等生」と賞賛されていましたが、正面衝突事故という悲劇を経験し、安全な鉄道を目指しています。
1.開業から第二次世界大戦まで信楽は山深く、大河がないため水運を利用できないので、陶器の出荷には非常な苦労が伴っていました。ですが、文明開化とともに日本に鉄道が誕生すると、信楽までの鉄道建設が熱望されました。そのため、1922年に改正された「鉄道敷設法」で「滋賀県貴生川ヨリ京都府加茂ニ至ル鉄道」として正式な鉄道計画線と決定され、1933年に貴生川〜信楽間の部分開業にこぎ着け、地元住民の願いであった、陶器を満載した貨物列車が信楽から全国へ向けて運転されるようになりました。第二次世界大戦中の1943年、兵器製造用の物資が不足したため信楽線は営業休止になり、軍部にレールや枕木等を供出させられましたが、戦後、地元住民の鉄道再開にかける熱意により、1947年7月25日に信楽線は営業を再開しました。 2.モータリゼーションしかし、舗装道路が整備されてモータリゼーションが起こると、貨物、旅客輸送ともに減少傾向に陥りました。信楽線から大阪・京都方面にいくためには貴生川を通る必要があり、遠回りだったのに対して、道路は直接行くことができます。そのため、輸送需要は道路にシフトしていきました。輸送量が減少した信楽線は赤字路線となり国鉄は廃止する方針にしました。しかし、沿線住民の鉄道存続にかける熱意は戦後の再開時から変わらず、一時は存続に望みをつなぎましたが、時代の流れには逆らえず、国鉄線での存続は断念せざるをえませんでした。そのため、第三セクター形式での信楽線を継続していくことになり、滋賀県も全面的な支援を表明しました。 3.信楽線の再出発1987年2月10日、正式に第三セクター・信楽高原鐵道株式会社が設立され、滋賀県が資本金の49%を出資しました。同年4月1日の国鉄分割民営化によりJR各社が発足。同年7月13日、信楽線は信楽高原鐵道株式会社に正式に継承され、第三セクター信楽高原鐵道がスタートしました。この時に新型の軽快気動車を3両導入し、職員も大幅に削減するとともに、地域密着型鉄道を目指して紫香楽宮跡、玉桂寺前の2駅を新設しました。新規に導入した軽快気動車により所要時間を片道5分短縮し、運転本数を増やすことで利便性を追求しました。信楽駅も総タイル貼りに改築し、信楽焼名物の徳利を持ったタヌキを並べるなど、陶芸のイメージを演出しました。 この営業努力の結果、わずかではありますが開業初年度から営業黒字を計上することができ、「第三セクターの優等生」と呼ばれるようになりました。
4.信楽高原鉄道列車衝突事故開業から順調な滑り出しをした信楽高原鐵道ですが、正面衝突事故を起こしてしまいます。元々、信楽高原鐵道は全線で列車は常に1本しか走っていませんでした。しかし、1991年4月20日〜5月26日までの間、信楽町で「世界陶芸祭」が行われることになったため、信楽高原鐵道は運転本数を2倍にするために全線の中間地点にあたるところに小野谷信号場を設置しました。また、JRから臨時快速列車が乗り入れることになりました。 ところが、同年5月14日にJRからの乗り入れ列車と普通列車との正面衝突事故が発生、死者42人、負傷者614人の大惨事になりました。この事件で信楽高原鐵道は職員5名と2両の車両を失い、同年12月7日まで運休しました。 運転再開日から小野谷信号場を閉鎖し、再び全線1列車だけの運転となりました。信楽高原鐵道はこの事件を教訓に「安全車両」と呼ばれる新型気動車を導入。地域密着型鉄道として、また安全鉄道として運行しています。 5.信楽高原鉄道の現在信楽高原鐵道は現在、赤字経営となっていますが、その赤字額は全国の第三セクター鉄道と比較するとその程度は軽いです。地域密着型鉄道・安全鉄道としての使命を果たしているという一定の評価ができます。この信楽高原鐵道の沿線にはバス路線が無いため学生や老人といった交通弱者はこの信楽高原鐵道を利用するしか移動の手段がない状態になっています。仮に信楽高原鐵道が廃止になりますと、学生が通学する際にはバスが5台以上必要と言われています。また、信楽町でのイベントが行われる際は列車を増結するなどを行い、多客輸送も行っています。 観光アクセスとしてはバス等にシフトされていますが、地域間の輸送には欠かせない鉄道になっています。これからも信楽のイメージを演出しつつ、地域密着型鉄道として、また事故の教訓を生かした安全鉄道として活躍してくことを期待しています。 前の文章「北近畿タンゴ鉄道」へ |
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